大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高松家庭裁判所 平成4年(家)16号 審判 1992年7月15日

申立人 栗山宏司

主文

亡大川ヨシ所有の別紙目録記載の祭具、墳墓及び墓地の承継者を申立人と指定する。

理由

(申立ての要旨)

1  申立人の祖父栗山宏次郎(明治9年10月10日生、昭和20年1月19日死亡)と大川ヨシ(明治13年11月20日生、昭和17年9月1日死亡)とは事実上の夫婦として生活をともにし、栗山千穂(明治44年11月21日生、婚姻により佐藤千穂となる。)、栗山広次郎(大正5年5月23日生、同年8月7日死亡)、栗山秀樹(大正8年5月14日生、大正9年2月4日死亡)を儲けたが、ともに戸主であったので婚姻の届出をすることなく、生涯内縁関係を続けた。

2  大川ヨシは、明治15年11月22日、大川仁吉(嘉永2年12月10日生)、大川サダ(嘉永4年3月3日生)夫婦と養子縁組をし、戸主である養父大川仁吉が大正7年2月9日死亡したので同家の家督を相続して戸主となったところ、養母大川サダも大正13年4月15日死亡した。そして、戸主である上記ヨシは、昭和17年9月1日死亡したが、上記千穂は他家に嫁に行ったことから相続人がなかったため、昭和18年8月18日高松区裁判所の許可を得て絶家となった。

3  栗山宏次郎は、大川ヨシ死亡後、同人所有にかかる別紙目録記載の祭具、墳墓及び墓地を事実上管理し、同家の供養を行ってきた。

4  栗山宏次郎は、昭和20年1月19日死亡したので、同人が事実上管理し、供養を行ってきた大川ヨシ所有の上記祭具、墳墓及び墓地を養子の栗山幸一郎(明治36年4月4日生)が事実上承継し、同人が昭和61年9月4日死亡したので、同人の長男である申立人が上記の管理及び供養を事実上承継し、これを継続している。

5  ところが、株式会社○○○○○製作所は、平成2年ころから、本件墓地を含むその周辺一帯の土地を工場用地として買収し、同地上に工場を建設しようとして申立人に墓地の移転と墓地譲渡の申入れをしてきたが、申立人は法律上の大川ヨシの祭祀承継者ではない。

6  そこで、申立人は、同人が上記会社と墓地に関する契約を締結し、大川ヨシの祭祀を継続するため、申立人を大川ヨシの祭祀承継者とする旨の指定を求める。なお、本件墓地である別紙目録記載3の土地の表示登記における所有者大河伊吉並びに土地台帳における所有者大河伊吉は、戸籍及び寺の過去帳を調査しても全く実在しておらず、上記大河伊吉は大川ヨシの養父である大川仁吉の誤記である。

(当裁判所の判断)

家庭裁判所調査官○○○○作成の調査報告書、戸籍謄本、登記簿謄本、土地台帳写その他一件記録によると、申立ての要旨1ないし5記載の各事実が認められるほか、次の事実が認められる。すなわち、上記株式会社○○○○○製作所は、申立人の承諾を得て、別紙目録記載2の墳墓を移転し、同目録記載3の土地と同会社所有地との交換を希望しているが、申立人は大川ヨシ所有の祭祀承継者に指定されておらず、上記墓地の所有名義人は大河伊吉となっていること、しかし、上記墓地は、その地上の墓石の記載から少なくとも嘉永4年5月10日から墓地として使用されていることが明らかであり、明治初年の表示登記及び明治15年11月22日の土地台帳には本件墓地の所有者として大河伊吉の記載があるが、人口も少なく狭い田舎における明治初年当時の戸籍及び寺の過去帳などを子細に調査してみても大河伊吉なる人物が存在した形跡は全くなく、しかも大川家が他人の所有地上に本件の墓を設置したことを認めるに足りる資料がないことなどに徴すると、大河伊吉は大川仁吉の誤記と認められること、大川ヨシが同人所有の祭祀の承継者を指定したことを認めるに足る証拠はなく、また同人所有の祭祀の承継についての慣習の存在を認めるに足りる資料もないこと、そして、申立人は、今後も事実上の祖母にあたる大川ヨシ所有の祭祀財産の管理とその供養の継続を誓っていることが認められる。

以上の認定事実を総合考慮すると、大川ヨシ所有の別紙目録記載の祭具、墳墓及び墓地の承継者を申立人と指定し、申立人に上記会社との交渉にあたらせ、墳墓及び墓地を確保させて祭祀を継続させるのが相当である。

よって、申立人の本件申立ては理由があるからこれを認容し、主文のとおり審判する。

(家事審判官 山口茂一)

別紙目録<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例